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水谷千重子 友近 同一人物

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水谷千重子 友近 同一人物

yahooの検索ワードに水谷千重子という名の演歌歌手が出ていたので調べてみると
友近さんだったことがわかった。twitterでは「水谷千重子って友近に似てね?」なる
おもしろツイートも飛び交っており、また世間を騒がせてくれそうですね。


水谷千重子はオフィシャルホームページの「水谷千重子のよっこいしょブログ」なるものも
運営しており、そのプロフィールがなかなかおもしろいである。

水谷千重子 プロフィール

■年齢:不詳(ウワサ年齢55歳?)

■演歌歌手デビュー:40周年

■出身地:福井県 第二の故郷は全国各地(笑)

■未婚・自宅に4匹の犬

■経歴:

1970年、TVS『歌まね生一本』でグランドチャンピオンとなり、審査委員長であった二葉菖仁にスカウトされる。
当時はテレビの音楽番組などは生放送であり、夜7:30のテレビ出演というのは、当時の子供にとっては遅い時間帯であった。
少女時代の水谷は「美空ひばり」を彷彿させ、後に「北陸のひばり」といわせるものであった。

翌年の1971年には、福井市内で豆腐屋を営んでいた家族と共に上京して二葉プロダクションに所属。
1年間のトレーニングの後1972年、二葉作詞の『万博ササニシキ』で華々しくデビューする。
大映映画では子役としても活躍。当時まだ子供だったために楽屋内でワイワイ騒いでいたところをある先輩歌手が激怒というエピソードも。
自身こだわりにより紅白は辞退している
1983年、天王洲コマ劇場で初の単独座長公演
低迷期には9年間に渡って一人で全国各地を行脚し、興行の中で苦労を経験。
昼間は各地の興行を行いながらも地元のレコード店やラジオ局、有線放送局などへ一人でキャンペーン廻りをしていた。
夜には毎晩深夜遅くまで飲み屋やキャバレーなどの繁華街を泥酔客に絡まれたりしながらも歌い廻っていた。
1993年に二葉プロダクションから独立し、個人事務所の千重子プロモーションを設立。
2002年、歌手生活30周年を迎えNHKホールで記念リサイタルを行う
2011年、『千重子の カバーしちゃっていいかしら』ではJ-POPヒット曲のカバーに挑戦し、演歌とPOPの融合に周囲を驚かせた
舞台では、南米ブラジルのカポエイラと演歌を融合させたお芝居を上演し観客を魅了した

■交友関係:

自宅でよくパーティーを開き、芸人の友達、特にノンスタイルの石田は週一で自宅に遊びにくる程、仲がいい。

■主なヒット曲

1972年『万博ササニシキ』
1975年『うんとこどっこいしょ椿』
1979年『一事が万事酒』
1992年『スコッチが、お好きでしょ』
2005年『ミズチエ・ルンバ』
2011年『千重子のカバーしちゃっていいかしら』(アルバム)
2012年『人生かぞえ歌』『お祭り女』『天使のかわりはいませんか』

■レギュラー番組:

RSK『ドンマイ千重子の よっこいしょラジオ』
BVS『演歌でええんかい!?』


なぜかすでにデビュー40周年になっているのがおもしろいですね^^




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